【ゼロ・グラビティ】超リアルな宇宙空間での事故から目が離せない

宇宙空間で命に関わる危機的な状況に遭遇した女性宇宙飛行士が、
どうやって乗り切るのか。

女性宇宙飛行士のライアン・ストーン博士は
宇宙空間で同僚のマットやシャリフとともに、
スペースシャトルの修理をしていた。
ところがそこに、ヒューストンから緊急連絡が入る。
ロシアが自国の宇宙船を爆破した影響で、
その破片が他の宇宙船をも連鎖的に破壊する事故が発生。
大量の宇宙ゴミがライアンたちが搭乗するシャトルを直撃する可能性があり、
早急に退避するようにとの指示が出された。

しかし、退去が間に合わずに宇宙ゴミにシャトルは破壊され、
ライアンは宇宙空間に放り出されてしまう。
マットの懸命の救助によって、かろうじて助けられたライアン。
二人はロシアの国際宇宙ステーションまで移動して、
そこから地球への帰還を目論むのだが…。

この映画は最後まで息を呑むシーンの連続で目が離せません
とくに、無重力状態の宇宙空間で飛行士が活動したり、
宇宙船がトラブルに合ったりしたときの描写は、
とてもリアルな感じがして迫力があります。

描写がとても細かくて、
ゴミや水滴などが浮遊していたり、
「神は細部に宿る」という言葉を地で行くような表現です。

実際に宇宙でこんな事故が起こったとして、
それを映像に撮ったらどんなふうに見えるのか?
この映画ではそれを忠実に再現している部分と、
それらしく見せている部分の両方があると思います。

実際の物理法則に完全に従って映像化したら面白いのか?
というと、そうではないように思います。
科学的な意味でガチでリアルな映像表現や音響効果は
観ていて面白くない場合もあるんじゃないでしょうか。

映画やドラマの映像には演出がつきもので、
たとえば、空気がないから音がしないはずの宇宙空間で、
星や宇宙船が爆発するときの音が聞こえたりするのが、
典型的だと思いますが、
観客が臨場感を感じるためにはそんな演出が必要不可欠。
そういう意味で、
アート作品には「ウソ」がつきものなのでしょう。

それから、もう一つは宇宙での圧倒的な孤独感。
ヒューストンとの交信はすべて無線通信を介していて、
映画ではニューストンの映像が全く出てこないので、
主人公の宇宙空間での孤立感がよりリアルに画面から押し寄せてきます。
広大な宇宙の中で、
自分だけが一人存在して漂っているのはものすごい恐怖だと思います。
僕はこの映画のように、
宇宙で遭難するということは一生ないと思いますが。

もう一つ、僕が興味深く思ったのが、
マットがライアンに対して家族のことを訊ねるシーン。
宇宙飛行士になるためには、時には数年単位の訓練があって、
その過程でクルー同士は、
お互いの生い立ちや家族構成まで
何でも知り尽くしている関係になるのかと思っていたら、
そういうわけでもなさそうで、
命がけで助け合う間柄でも、
仕事とプライベートは別っていうのが面白いと思いました。

主演の候補としてマリオン・コティヤール、スカーレット・ヨハンソン、
ブレイク・ライヴリー、ナタリー・ポートマンなどがいた中で、
最終的にサンドラ・ブロックになったようです。

邦題のゼロ・グラヴィティは無重力という意味だと思いますが、
原題はグラヴィティ、つまり重力。
「ゼロ」がつくかつかないかで、意味は正反対になると思うんですが、
日本語タイトルにした時に、なぜ「ゼロ」を付けたのか、
僕は最後のシーンに関係しているんじゃないかと思いますが、
皆さんはどうお考えになるでしょうか?

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