【ムーンライト】違う3人が演じる「シャロン」が同一人物になっているオドロキ
ひどい環境の中で痛めつけられて、
遠回りをしながらも、やがて本当の自分を取り戻す。
そんな人生の旅の物語。
映画やドラマでは主人公の幼少期と成長後とでは、
別の役者が演じることになるわけですが、
成長の前後で大きく性格や境遇が変わったという設定だったら、
俳優と子役とで見た目や雰囲気が違っててもいいようにも思いますが、
子供時代の主人公がそのまんまの性格で成長したのに、
いや、それは別人でしょ、みたいな
キャラクターがつながってない作品って、
結構あると思います。
とくに顔つきとか表情とかの見た目の部分ですね。
NHKの朝ドラなんかだと、
子役時代からヒロインを描くケースが多いから、
そういう点では苦労することが多いんじゃないかと思います。
でも、「ムーンライト」はどうしても、
限りなく同一人物が成長したように見えてほしい。
この映画にテーマというものがあるとしたら、
そこのところ何じゃないかなと思いました。
母親と二人暮らしのシャロンは、
「リトル」とあだ名をつけられて、学校でイジメに遭っていた。
ある日イジメから逃れようと隠れていたシャロンを
ヤクの売人であるフアンが見つけて保護する。
容易には打ち解けないシャロンだが、少しずつ親しくなっていく。
シャロンがイジメられるのには
実は本人がまだ知らない理由があった。
ハイスクールに進学しても、いじめられキャラは変わらず、
幼なじみのケヴィンだけが唯一の友人という状況。
そんな時、ある事件が起こります。
数年後、
シャロンはアトランタに移って、
見た目も生活ぶりも、
以前のシャロンからは想像がつかない姿になっていたのだった。
そんな彼のもとに、
一本の電話がかかってくるのだった。
映画は3つの章に分かれていて、
それぞれの年代のシャロンを別の俳優が演じています。
とくに第3章はそれ以前のシャロンが線が細いタイプなのに比べて
ゴリゴリのいかついマッチョになっていて、
かなり違ったキャラとして登場してきます。
でも、驚くのは違う役者が演じているのに、
「シャロン」に共通した「らしさ」が3人から感じられる点。
とくに、第3章で『ブラック』と呼ばれるようになるシャロンは、
いじめられていた自分と決別して別の人間になるために肉体改造をして、
筋肉の鎧を着ているようにゴツいのですが、
作品の最後のほうで見せる表情は
鎧の下に隠れていた
昔のままのシャロンとしか言いようがない。
リトルが成長してこうなった、
という一貫性みたいなものが感じられます。
違う俳優が演じているのに、すごいです。
もちろん、顔つきや雰囲気が似ている役者を揃えたのだろうけれど、
3人の俳優が共通してシャロンという人物になり切る力にも驚くし、
そうした奇跡を実現させた製作者たちの手腕もすごいと思います。
しかも、それが単に外見だけの問題じゃなくて、
外見は変わっても、
人間の根っこのところには変わらないものがあって、
シャロンがその部分を保ち続けたことを描くのが、
この映画のテーマそのものだといえるので、
まさに奇跡だと思います。
人生が変わっていき、
見た目も変わるんだけれど、
外見は変わっても、変わらないものがある。
心の奥底にあって小さく縮こまってはいるけれど、
純粋な想いは変わらずに存在して、
やがて、解けてあらわれてくる。
父親がおらず母親はジャンキーだったり、
学校でわけもわからずいじめられていたり
しかも、自分自身がどこか他の友達とは違うような気がしたり、
シャロンは理不尽で生きにくく居心地の悪い人生を送っているわけですが、
それが、ある時ブチ切れてそこから人生を変えようと試みます。
ところが、結局自分は自分でしかなくて、
そこにたどりつき、自分自身を受け入れることで、救われる。
最近の映画はストーリーが複雑なものが多いので、
僕はなかなかついていけないものもあって、
一度見ただけでは内容が完全に理解できないものも少なくありません。
それに比べるとこの映画はストーリー自体はシンプル。
その分、ガツンとハートにぶつかってきて、
ストレートに心の奥底にしみてくる。
そんな映画でした。