【SRサイタマノラッパー】イタくて恥ずかしい青春を描き切った作品
映画の舞台は埼玉県の「福谷市」という架空の町。
ラッパーとして有名になることを目指している3人。
ニートのIKKU、風俗店の呼び込みをするTOM、ブロッコリー農家の息子MIGHTYが、
自分たちのライブを開催することを目標にしています。
冒頭のシーンでは、
バンに載ったラップ仲間たちが、
ラップをしながら埼玉の道を走る風景が登場するが、
そのシーンが一瞬アメリカ映画を見ているかのような錯覚を覚える。
なんかイケてるラッパーたちのユニットが、
カッコよく描かれている映画かと思ったら、
だんだんとメッキが剥がれてきて、
登場人物たちのかなり残念でけっこうイタい現実が見えてきます。
「サイタマノラッパー」というタイトルには、
いわゆる「埼玉はダサイ」という意味と、
埼玉でもそれ以外の地方でも夢を見るのは自由だし、
そこでやりたいことをやるのも自由だという両方の意味が
込められているんじゃないかと思います。
最高の青春映画として
この映画がアメリカのロードサイドムービーと比べても、
まったく遜色ない出来上がりだと思います。
よく地方に帰省した人にどこに住んでいるのかをたずねると、
「東京のほうに住んでいる」という返事をするのに、
実は埼玉県在住だったという「あるある」があります。
なので、首都圏というくくりのなかでは、
埼玉県はたしかに「ほぼ東京」みたいな位置づけなのかなと思っていました。
ところが、この映画を見ると、
福谷市から東京に行くのは、
まさに地方から「上京」するという位置づけで、
都会と地方との間に壁があるのです。
そこがとっても意外でした。
ラッパーとして成功したいとは思っているけれど、
実はその壁は自分が思っているよりも高くて、
東京に出て成功するかどうか自信がないし、
壁のこっちがわ(埼玉側)にいても惨めでイケてない。
サイタマと東京の間には、地理的な距離よりも遠い
心理的な距離が横たわっているわけですね。
本物になるには東京に出なければならないという、
ジャンプしなければならないハードルがあって、
でも、それを飛び越えられず本物になりきれない。
「ユー、やっちゃいなよ!」と後押ししてくれる
ジャニーさんみたいな人がいればいいんだろうけれど、
やっぱり最後は自分で自分の行く末を考えるしかなくて、
なかなか思い切った行動をするだけの勇気がない。
映画の中では、
主人公のIKKUがラップのリリックのネタを探して、
国際情勢や社会問題で探しているが、
トムに自分が書きたいことを書けばいいんじゃないかと返されて、
言葉に詰まるシーンがあります。
ラッパーになりたいと思っていても、
結局は憧れの枠内から外に飛び出せないワナビーで、
中身がついてこない意識高い系のラッパー。
それが最後のシーンで初めて自分自身の心の叫びを絞り出す。
泣けるシーンです。
監督の入江悠さんは
たぶん映画のモデルになっている埼玉県「深谷市」出身のようで、
若い頃に感じていた地元と東京の距離感が、
この映画に描かれているのと同じような感じだったのかもしれません。