【プライベート・ライアン】映画史に残る戦闘シーンと、心を揺さぶる結末に涙

見ず知らずの兵士を命がけで救出するミッション

原題は「Saving Private Ryan」で、
戦争映画なのにプライベートってどういうことなんだろう?と思っていましたが、
日本語に直訳すると「兵卒ライアンの救出」って意味らしいですね。
そこから救出という単語を省いて、
日本向けには「兵卒ライアン」というタイトルにしちゃったわけですが、
そもそもプライベートが兵卒とか兵隊という意味だなんて、あんまり知らないし、
救出って言葉があったほうがわかりやすいんじゃないかと思うんですが、
どうして「プライベート・ライアン」になったのか?
映画の日本語タイトルって謎が多いです。

この作品はスピルバーグ監督の戦争映画としては4作目にあたり、
アカデミー賞の監督賞をはじめ5部門を受賞しています。

【原題】Saving Private Ryan【製作年】1998年【製作国】アメリカ【上映時間】170分
【監督】スティーヴン・スピルバーグ【脚本】ロバート・ロダット、フランク・ダラボン【撮影】ヤヌス・カミンスキー【音楽】ジョン・ウィリアムズ
【キャスト】トム・ハンクス、マット・デイモン、エドワード・バーンズ

第2次世界大戦のさなか、
ライアン家の兄弟4人が全員戦争に駆り出され、
そのうち3人がほぼ一緒の時期に戦死してしまいます。
残る一人である末っ子のジェームズは落下傘部隊で敵地に進撃したのですが、
その後の消息が不明だったのでした。

4人兄弟全員がすべて亡くなってしまったのでは、
残された母親にとってあまりに酷だという軍の上層部の配慮から、
残る一人を捜索してすぐにアメリカに帰国させるよう、
ヨーロッパの前線に指令がくだされます。

そのミッションを受けたのが、
アメリカ軍のノルマンディー上陸作戦で命からがら上陸に成功していたミラー大尉だったのです。

ミラー大尉は命令を受けて、
自分の部隊と通訳を連れてジェームズ・ライアンの捜索に出発します。
さて、ミラーはライアンを無事連れ戻せるのか、というストーリーです。

生き残るかどうかはたまたまという不条理な世界

最初のノルマンディー上陸作戦の約20分間にわたる描写が、
本当に凄惨極まりないもので、
上陸を試みる兵士たちが片っ端からドイツ軍の掃射を受けて
どんどん命を落としていく映像が真に迫っていて怖すぎます。

戦場カメラマンのキャパがノルマンディー上陸作戦を撮影した写真が有名ですが、
キャパがよくもあんな戦場に出かけて撮影したものだと思うと、
驚きしかありませんでした。

このシーンの映像を見ていたら、
上陸作戦が成功した理由は、単にドイツ軍の弾薬の量を
アメリカ軍の兵員の数が上回ったからに過ぎないような気がしてきます。

そう思わざるを得ないほど、
たまたま銃弾が当たった兵士は命を失くしてしまい、
上陸できた兵士はたまたま幸運だっただけだというか、
これはもう単に確率とか運の問題に過ぎないのでしょう。

映画の冒頭でこれほどアホみたいに人が倒れていくような
命の軽さを見せられたあとで、
戦場とは遠く離れた場所にいる軍上層部の鶴の一声で、
ジェームズ・ライアンという誰だかよくわからないたった一人の兵士を
なんで命がけで助けに行かなきゃならないのかと、
誰だって思うわけですね。

それで、
ストーリーはトム・ハンクス扮するミラー大尉を中心に展開していくのですが、
もちろんミラーだって何で自分が助けに行かなきゃならないのかと、
理不尽に思っているけど、
命令だから心を決めて救出に出かけることになるのです。

ミラー大尉はもともと高校の国語の教師だったのが戦場に駆り出されているわけで、
そういう人たちが戦場で一応最低限の訓練と教育は受けてるんだろうけど、
あとは見様見真似で戦闘したり指示を出したりするわけで、
行軍する間に戦闘が起きたりするのだけど、
考えてみるとその点でも心もとないし、
死ななくても良かった命が消えていったりする。

ほんと、理不尽、不条理としか言いようがない。

この映画を観て、なんで助けに行くのか、戦争は理不尽だと思う人と、
いや、命がけで救出する行為が尊くて胸が熱くなる映画だという人と、
両方の人がいて、それ以外の意見の人もいたりして、
賛否両論、いろいろな議論が出るからこそ、
それが名作映画としての深みにつながっているんだろうと思います。

わざと険悪な雰囲気を作り出して撮影

ちなみに、この撮影の前にトム・ハンクスたちは
10日間の本格的な軍事訓練を受けた後に、
2週間かけて過酷な撮影を強行したらしく、
みんなが疲れ果てて苛立っているところに、
そんなこととはつゆ知らず
ジェームズ・ライアン役のマット・デイモンが初めて撮影に現れると、
他の役者との間にたちまち険悪な空気が流れたそうです。

その殺伐とした空気感を撮ろうというのがスピルバーグ監督の狙いだったらしいです。
スピルバーグ、けっこうひどいヤツですね。
でも、思い通りの映像を撮影するために、
製作の過程にもいろんなアイデアが凝らしているのが面白いです。
作品のためならそこまでこだわるのがスピルバーグ流なんですね。

本物にこだわるという点でいうと、
当然、衣装や武器、兵器にもかなりの割合で本物が使われているようで、
きっとミリオタの皆さんはこの映画が大好きだったりするんだと思います。

最後の場面で大規模な戦闘が描かれています。
その舞台となるのが、それまでの戦闘で破壊された街で
廃墟丸ごとをセットとして作ってしまったというのが
もう凄いとしか言いようがない。
ほんとにそういう廃墟がもともとあったとしか思えない仕上がりで、
その辺りまで行くともう映画だというのを超えている気がします。

ぐちゃぐちゃのガレキの上で俳優たちが這いずり回って、
あちこちで火薬がボンボン爆発したり、
建物が崩れて破片が飛び散ったりするわけで、
たぶん生傷は当たり前だし、
下手したら大ケガしたり命をなくしたりする可能性もあって、
映画の撮影なんだけど、
やってる本人たちにとっては本物の戦争みたいなもんですよ、きっと。

まさに迫真の演技としか言いようがない映画です。

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