【帰ってきたヒトラー】コメディタッチだけれど、やっぱりお笑いだけでは済まない、実は恐い映画。
第2次大戦中に自殺したはずのヒトラーが
現代にタイムスリップしてきたらどうなるのか?
という話を描いたのがこの「帰ってきたヒトラー」
ドイツ人といえば真面目というイメージがあります。
そのドイツ人がヒトラーという重いテーマをコメディ仕立てで取り上げた作品です。
実際、笑えるシーンも多くてとても面白い映画だったのですが、
やはり根底にはシリアスなものが流れていて、
最後までどうなるか目が離せない展開の作品だと思いました。
【原題】Er ist wieder da【製作年】2015年【製作国】ドイツ【上映時間】116分
【監督】ダーヴィト・ヴネント【脚本】ダーヴィト・ヴネント、ミッツィ・マイヤー【撮影】ハンノ・レンツ【音楽】エニス・ロトホフ
【キャスト】オリヴァー・マスッチ、ファビアン・ブッシュ、カッチャ・リーマン、クリストフ・マリア・ヘルプスト、フラツィスカ・ウルフ
ある日、
テレビ局をクビになったフリーのディレクター・ザヴァツキが、
第2次世界大戦の時代からタイムスリップしてきたヒトラーを「発見」して、
ヒトラーの物まねをするコメディアンだと思い込み、
テレビ局に売り込んで自分も仕事に復帰しようと画策します。
売り込みが功を奏してヒトラーはテレビで大ブレイク。
誰もがヒトラーをコメディアンとして扱い、
テレビに引っ張りだこになります。
この作品の中でヒトラーは新聞やテレビを見て、
タイムスリップしてきた今の時代の世相や動きをいち早く把握して、
移民問題とか少子化問題とか、
現代の重要問題に対して持論を展開するようになるわけです。
当時の社会問題と現在のそれとは同じではないけれど、
ドイツ国民が抱いている不満や不安が大きかったのは
今も昔も変わらなかったのでしょう。
そんな現在の政治に対する民衆の不満をつかみとって、
それに対して自分の見解をテレビでアピールしていきます。
さて、どうなるのかというストーリーです。
ドイツ国内を車で回って
ヒトラーが現れたら人々がどう反応するかを撮影するという
ドキュメンタリー的な場面が描かれていて、
その部分の映像には画面に移りこんだ人の顔にモザイクがかかっていたり、
画像が一瞬乱れるような加工がされていたり、
なかなか実験的な演出もなされていました。
映画の中で、スタジオ収録を見に来たりテレビを見ている人は、
目の前のヒトラーは本物であるわけがなくて、
コメディアンがヒトラーの真似をして
もっともらしい演説をしていると思い込んでいます。
時折、笑いも交えながら見ている間に警戒心がなくなって、
「コメディアンなのに言っていることには一理ある」と
そんな風に思う人も出てきたのではないでしょうか。
この映画には、もう一つの実験があるように思います。
それは、この作品を観ている人自身、たとえば私なんかが、
映画を通じてヒトラーという人物に惹きつけられていくんじゃないか。
ちょうど、ヒトラーが戦争を始める前に政治の舞台に登場し始めて、
多くのドイツ人の大衆の支持を獲得していったみたいに。
ヒトラーの主張には騙されないぞと思っていても、
そういう考えは後出しじゃんけんの結果論で、
たとえばわかりやすい意見だったり、ハッキリした態度や巧みな演説だったりによって、
いつの間にか丸め込まれてしまうんじゃないかという気がします。
映画でもヒトラーが他の政治家や政治団体のメンバーと話す場面がありますが、
相手の主張があいまいだったりして、
議論にもならず打ち負かされていくのを見て、
つい、ヒトラーのほうが正しいんじゃないかと思ってしまう。
しかも、作品の中では、ユダヤ人虐殺の話というのは、
後半になるまでほとんど出てこないんですね。
ユダヤ人排斥を始める前のヒトラーの主張が、その後どんな惨劇をもたらすのか
誰も知る由もない状況の中で、
果たしてドイツの人たちがどんな風に彼のことを受け止めたのか。
そのあたりを追体験できるように、
この作品は意図して作られたんじゃないかと思いました。
それで、実際に僕もついヒトラーの主張に対して
「確かにそうだよな」と思う場面もありました。
映画の主人公全般に惹きつけられるのと、
ヒトラーに惹きつけられるのは違うとは思うけれど、
もしヒトラーが同時代人として目の前にいたら、
自分はどう反応するかわからないぞという思いはありました。
ディレクター役のザヴァツキが来ているジャケットが、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公マーティンが来ていたものに似ていたり、
タイム・リープものの傑作としてリスペクトしているのが伝わってきました。