【来る】ありがちな映画の枠を破って、新しい日本のホラー作品のスタイルをつくるかも。
2015年に第22回日本ホラー小説大賞を獲得した、澤村伊智の「ぼぎわんが、来る」が原作のホラー映画です。
賛否両論なんだそうです。いまこの時点ではその賛否の理由を見ていないし、原作も読んでいなくて何か言うのもおこがましいのですが、僕はとっても面白いと思いました。
日本のホラー映画といえば「リング」や「呪怨」が有名だったわけですが、そういう先駆者的作品とは違った、今までにない新しいスタイルのホラー映画が生まれたと思いました。
【原題】来る【製作年】2018年【製作国】日本【上映時間】134分
【監督】中島哲也【脚本】中島哲也、岩井秀人、門間宣裕【撮影】岡村良憲
【キャスト】岡田准一、小松菜奈、妻夫木聡、黒木華、松たか子、柴田理恵
お菓子メーカーで働く秀樹(妻夫木聡)は、取引先のスーパーで知り合った香奈(黒木華)と結婚し、やがて香奈が妊娠し、秀樹は生まれる前から子育てブログの更新に夢中になる。そして、娘の知沙が生まれる。
秀樹は小学生時代に、友だちの女の子がバケモノに連れ去られる事件に遭遇し、その女の子から、いずれ秀樹もバケモノに連れて行かれると予言されていた。そしてある日、家に帰宅するとそのバケモノの仕業と思われる異変が起きる。
秀樹は高校時代からの友人で民俗学者である津田(青木崇高)の紹介で、フリーライターの野崎(岡田准一)と、その女友達のキャバ嬢で霊媒師である真琴(小松菜奈)に相談することに。霊媒師の真琴は秀樹一家に起きている異変を敏感に察知し、秀樹たちのマンションにやってくる。
野崎と真琴が秀樹一家の家で過ごした翌日、秀樹の家に突然バケモノである「アレ」がやってくる。見た目にわかる確かな形は持たないけれど、家の中の物が飛んだりガラスが割れたり、ポルターガイストのような超常現象が起き始める。そこに突然今度は真琴の姉でやはり霊媒師である琴子(松たか子)から電話があり、今回のこの相手は真琴では歯がたたないので、テレビにも登場する名うての女性霊媒師(柴田理恵)を紹介されるのだが・・・・。
化物というか悪霊というか、地方の伝説に語り継がれる強大な力をもった魔物に取り憑かれた男とその家族、そして、魔物に立ち向かう霊媒師姉妹の戦いを描いた物語。
実はこの「アレ」という化物は相当にランクが高い最強クラスみたいで、「アレ」を封じ込めるために全国各地から霊媒師だか陰陽師だかまじない師だか神主だかが大勢集結するんだけれど、集まる途中でその半分が「アレ」に倒されてしまうという、とんでもなく手強い相手なんです。
「アレ」と琴子たちが対決する最後のクライマックスに向けて、集まった霊能者の人たちが、平安時代みたいな装束を来て、秀樹たちのマンションの前にある公園に集結し、「アレ」を招き寄せるために壮大な儀式を始めるんですが、まさに霊能者vs悪霊の死力を尽くしたバトルが幕を開けるのです。
キャスティングもなかなかおもしろいです。
妻夫木聡と黒木華が夫婦役ということで、大河ドラマの主人公夫婦として登場してもよさそうな組み合わせ。作品の前半は、いい会社に勤めてマンションも買って、きれいな奥さんとかわいい子供がいる夢のような家族を描いていくのかと思ったら、ところが、そこを見事に裏切ったストーリーが面白いです。
結婚報告に行った先での親戚たちのやりとりや、結婚式での参加者たちの陰口から、夫婦二人の人間性が少しずつ見えてきます。
妻夫木が演じるのは、子供の頃からええカッコしいで軽薄な男。大人になって子育てに熱心で子育てブログにも力を入れているように見えるが、実はブログの中で良い父や夫を演じて反応を集めるのが好きなだけで、本当は妻にも娘にも興味がないという役柄。しかも、最悪なことに自分でそのことに気づいていないので、余計に始末が悪くて、周囲を傷つけてしまうというタイプなのでタチが悪いです。
一方の香奈は家庭環境に恵まれずに育った女性の役で、最初は頑張っているんだけれど、夫の秀樹が子育てブログに夢中で自分や娘への関心が薄いので、それがストレスになって娘に当たってしまうという役柄を演じている。
香奈は自分が良い妻を演じられるか心配な奥さんを演じているが、やがて、途中で人が変わったように変貌ぶりが怖いです。女性の裏表とか豹変とかそういうのを演じたら黒木華は凄いですね。僕がいちばん黒木華を怖いと思ったシーンは玄関の盛り塩の場面でした。
小松菜奈はウラの顔は女霊媒師のキャバ嬢という異色のキャラ・真琴の役。見た目はチャラいけど熱いハートをもった女性を熱演していて、テレビなんかで見かけるのとは違った雰囲気が出ていました。
岡田准一はこの映画のクレジットでは主演として名前が出てきますが、あんまり主演ぽくない役柄です。それでも最終的に存在感を示すというは、やっぱりジャニーズなのかな。
あと、真琴の姉の琴子を演じているのが松たか子なんですが、感情を表に出さないクールな霊媒師という役どころですが、その演技もなかなかおもしろいです。松たか子の映画って「告白」くらいしか観たことがなかったんですが、「告白」でも感情を抑えてしかも怖いっていう役柄で、今回の映画と共通していると思ったら、同じ中島哲也監督だったんですね。それで納得しました。
そして予想外の熱演が柴田理恵。テレビによく出る霊媒師の役なんですけど、呪文を唱えながら「アレ」と戦う姿はまさに鬼気迫るものがありました。
映像が怖いです。血が流れまくるし、不気味なシーンも多いです。さらに、この映画、大きく前半と後半に分かれるんですが、後半が始まる最初のシーンで、赤ちゃんがたくさん出てくる場面とかはマジでやめてくれって思いました。
映画のラストに出てくる、女の子が見ている夢のシーンがとっても強烈で、それに続く男の一言も合わせて最高だと思いました。
一方で、イクメンと言われながら子育てを男性が手伝わないとか、モラハラやDVといった問題とか、子供を作るのを恐れる男の話とか、そういう家庭にまつわる社会的な問題も扱っていて、話に厚みがでていると思います。ホラーと人間ドラマの両方をミックスしている。最後まで見応えがある映画だと思いました。
さらに、ホラーなんだけれどバトルの要素が強いところが、作品として新しいと思います。今までのホラーの枠に収まっていない作品です。
この映画は賛否両論が多いみたいですが、その理由を考えてみました。
一つはバケモノに関する説明不足。
映画ではバケモノがどのようなものなのかあまり詳しい説明はされないんですが、細かい説明は抜きの方がかえって怖さが倍増するように思います。とにかく怖くてヤバくて危険なわけです。どう危険なのかは映像を見ればわかる、というわけですね。
これまで日本のホラー映画ってバケモノがなんでバケモノになったのか、その後ろにはどれだけ悲しく切ない物語があったのかみたいな、ウェットなストーリーが展開されることで、映画の展開がそっちに引っ張られがちだったように思いますが、この監督はそういうのが嫌だったんじゃないかと思います。
この「来る」では「バケモノ」がどんなもので、なぜ相手を襲うようになったのか、そういう説明は最初の方の法事のシーンで親戚があーだこーだいう程度で、その後は説明がほとんどありません。これは、あえて意識的にそういう物語にしているんだと思います。「それって知りたい?」「説明が必要?」というのが監督の言い分なのかも。
実際バケモノの正体に限らず、「説明不要」「理由はいらない」という趣旨のセリフがこの作品の中で何回か出てきます。たとえば、秀樹と社内恋愛の関係をもっていたと思われる女性の同僚が、秀樹の友人と関係をもったことを秀樹に告げる時に、「理由は必要なのか?」という意味のセリフを言います。
同じようなセリフを何人かの登場人物が言っているが、なぜ「アレ」が襲ってくるのかという理由は不要で、必要なのは今これから起きることであり、これからどうするかだということを繰り返しています。
その点では、「バケモノには人を襲うバケモノなりの悲しい理由があった」みたいな、感傷的な要素を省いたとてもドライな展開の映画だと思います。それが今までのホラー映画とは大きく印象が違う点なのかなと思います。
「細かい説明がほしい」とか「納得感あるオチや結末を見たい」という気持ちを裏切っているわけですが、あえてわからないことだらけ、謎だらけの作品にしたのかもしれません。
もう一つは小説の内容に大きな変更がされていること。すみません、僕は小説を読んでいないのですが、ちょっと調べてみたら内容がけっこう変えられているみたいです。
先に小説を読んでから映画を観た人にしてみれば、その世界観をどれだけ再現できるかという点にどうしても興味が行きがちでしょう。それだけに、先に「ぼぎわん」を読んだ人は「違う」と思ってしまって、どうしても否定的な感想になってしまうかもしれません。そこはしょうがないのかなって思いました。ちなみに、僕はまだこの小説のほうを読んでいないので、小説そのものが面白いのかそうでないのかまったく判断がつきません。読めばきっと面白いんじゃないかなと思いますが。
それから、さっき書いた最後のシーンと終わり方に関しては、評価が分かれるところかもしれません。僕は面白いと思いましたが、一緒に観た家族は逆の意見でした。やっぱり人それぞれですね。
★小説と違えている。映画として作り直しているシャイニング?
最初の方でクルマが山道を走っているところを空撮するシーンがありますが、あれは、ホラー映画の傑作である「シャイニング」の最初の方でも、おんなじように主人公たちが山道を走るシーンが流れます。また、血が生き物のように流れるようなシーンもシャイニングに出てきます。「シャイニング」も小説を映画化したものですが、原作を書いたスティーブン・キングが、映画のストーリーが原作の小説とかなりかけ離れたことに怒ってしまい、自分でドラマ化しようとしたらしいです。それほど映画監督のキューブリックが小説とは違った展開にしちゃったみたいです。
この「来る」の最初の方に山道のシーンが入っているというのは、もしかしたら、シャイニングにならって小説と映画とは中身を変えるぞという宣言なのかなとも思います。そして同時に、細かく「アレ」に関しても説明しないという意思表示なのかも。
原作を読んでいないので詳しくはわかりませんが、だいぶ内容を作り変えているみたいです。小説のボリュームに対して映画の2時間前後ってあまりにも短いので、再構成が必要だと思います。それに映画監督とすれば、小説を忠実に再現するのであれば原作を超えられないし、だったら小説を読んでくれという思いだったのかも。映画の論理と小説の論理は違うということなのでしょう。
★バケモノの名前を特定しない
小説を読んでいないのでわからないんですが、この作品の「アレ」の名前は、原作の小説からすると「ぼぎわん」というのでしょうか? 映画の中でも田舎の法事の席で「バケモノの名前はなんだっけ?」みたいなシーンがあったりするけれど、正式な名前やどんなバケモノなのかとか、その由来はどういうものなのかといったことは出てきません。作品の中にバケモノが映像として登場さえすれば、あえて細かな説明は不要だと監督は思ったのかもしれません。
★なぜ襲われるのかわからない。異界の魔物が理由もわからず襲ってくる物語
秀樹が子供の頃に「アレ」に連れ去られた女の子が、彼に対して「あんたは嘘つきだから将来連れ去られる」と予言します。嘘つきで化物に連れて行かれるんだったら、僕なんかもソッコーで連れて行かれますよ。何で嘘つきがいっぱいいる中で、なぜ秀樹たちがなぜ襲われたのか。その点が明らかにはされていません。でも、その説明って必要なのでしょうか。
★「個性派俳優」が出ていない。
その人が出れば作品にハクがつくっていうタイプの俳優さんがいるじゃないですか。その俳優が出演したという事実をつくるためだけに用意された役柄がない。そういう俳優が出てこない。また反対に、感情を表現するために「アーッ!」と叫んだり泣いたりする演技しかできないような俳優も出てこないので、安心して観られます。
★平気でタバコを吸っている
黒木華は実家の庭で夜中にタバコ吸っているし、岡田准一はマンションの公園で子供がいっぱいいる中で吸っている。松たか子も病院でタバコを吸っている。必要な演出だから吸っている。スポンサーに気遣って吸わないみたいな選択はない。吸う場面である必要があるから吸っている。ある意味潔いです。
★俳優・女優がカッコ悪いのを気にしない
たとえば小松菜奈がタトゥーが入っていて体じゅう傷だらけという、今まで日本の若い女優だったら、あんまり事務所がやらせたがらないような格好をさせている。こういうの大事だと思います。
★細かなギャグが満載。
結婚式の二人の馴れ初めを描いたコントに始まり、除菌スプレーが除霊にも効くとか、カプセルホテルで神主が衣装を着るとか、笑えるシーンもいろいろありました。