【ホドロフスキーのDUNE】幻のSF超大作はどのように企画され、なぜ実現しなかったのか?

デューンはフランク・ハーバートが書いたSF小説で、
長大かつ内容が奇想天外で映像化が難しいといわれていた作品です。
しかし、その以前から難しいといわれていたこの作品の映画化に挑戦したのが
このドキュメンタリーの主人公・ホドロフスキーという映画監督です。
作品がどのように構想されて、そしてなぜ完成させることができなかったのか
当時の関係者たちのインタビューを中心に構成された、
DUNEを知らない人でもワクワクする必見のドキュメンタリーです。

【原題】Jodorowsky’s Dune【製作年】2013年【製作国】アメリカ【上映時間】90分
【監督】フランク・パヴィッチ【撮影】デヴィッド・カヴァーロ
【出演】アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H・R・ギーガー、クリス・フォス、ブロンティス・ホドロフスキー、クリスチャン・ヴァンデ、アマンダ・リア

チリで生まれたホドロフスキー監督は
1970年に「エル・ポト」という映画を発表して大ヒットし、
ジョン・レノンやミック・ジャガー、そして画家のダリなどに絶賛されたそうです。

そしてデューンの映画化に1975年に着手。
ところが、2年半の後、このプロジェクトは挫折して
DUNEの映画化は幻に終わってしまいます。
その時の一部始終について関係者の証言を交えながら描いたドキュメンタリーが
この「ホドロフスキーのDUNE」という映画です。

このドキュメンタリーの見どころの一つが、
ホドロフスキー監督自身がユニークな人物像でしょう。
1929年生まれでこのドキュメンタリーが撮られた当時は84歳という年齢なのに、
とにかく精力的で映画に対する強い情熱を持ち続けている

DUNEの構想をしていたころはもっとアグレッシブで、
その勢いに乗じて作品を作るうえで欠かせない才能の持ち主を集めていたのでしょう。

メカデザインにSF画家のクリス・フォス、
キャラクターデザインや絵コンテには
バンド・デシネ(フランスの漫画)の作家メビウス、
特撮にはダン・オバノン、
そして、悪役の要塞のデザインにH・R・ギーガーが参加。
僕が名前を知っていたのは
その後「エイリアン」の美術を担当することになるギーガーだけでしたが、
卓越した才能の持ち主に声をかけて集めてきます。

音楽にはロックバンドのピンクフロイドやマグマ、
役者にも「エル・ポト」を絶賛した画家のダリや
ローリングストーンズのミック・ジャガー、
そしてオーソン・ウェルズなど、
豪華な顔ぶれが俳優として参加する予定でした。

ホドロフスキー監督が「この人」と思った人物には
もちろん直接会いに出かけて口説き落とすわけですが、
そのいきさつが一つひとつ面白くて、
「七人の侍」や「オーシャンズ11」みたいな映画をつい思い浮かべてしまいます。

優秀な人材を集めて、
それぞれが思う存分に才能を発揮できるように、
ぜいたくに資金を投入してやりたいようにやらせるわけですね。

さらにDUNEの構想段階で、
ホドロフスキーは映画のコンテのほか、
セットや衣装などのデザインをまとめた分厚い冊子までつくって
それにもお金がかかっていそうでした。

必見なのはメビウスが描いた絵コンテです。
実際に描かれた絵コンテそのものを撮影・編集して、
アニメーション風に仕上げているので、
ホドロフスキー監督たちがどのような映画を目指していたのかが、
とてもよく伝わってきます。

それを観ると、確かにそれまでなかったような
画期的で壮大なSF映画になりそうだというのが伝わってきて、
これは後でスターウォーズのあの場面に影響を与えたようだとか、
実はその後のSF映画の原型は、
この「DUNE」ですでに形作られているんじゃないかと思わされます。

スターウォーズやエイリアンの前に、
これだけの作品を構想していたというのはものすごいことだったんだと
改めて感じさせられます。
こればっかりは実際に映画を見るしかありません。

この映画はそれまでの経緯を関係者の証言を交えながら、
詳しく紹介してくれています。

ところが、DUNEはホドロフスキーの手で映画化されることはありませんでした。
ハリウッドに持ち込まれたDUNEの企画そのものは、
どの映画会社にも好評だったようですが、
製作には消極的で結局映画化は実現できませんでした。
壮大な内容だけに製作費が当時としても巨額にのぼることが予想され、
その分だけどの会社も慎重にならざるを得ず、
何よりも作品の監督をホドロフスキーが務めることに
どの会社も難色を示したのです。

理由はホドロフスキー監督がこの作品の上映時間を
10時間以上の大作にしようという考えを曲げなかったこと。
そして、これは僕の想像ですが、
やはりハリウッドの映画会社としてはヒットさせるためには、
エンターテインメント性が強いものを求めるわけで、
それに対してホドロフスキー監督が力説するような、
芸術的な路線ではヒットするのは難しいと判断されたのではないでしょうか。

絵コンテやキャラクターデザインなどが決まっていても、
やはり監督次第で作品の雰囲気は全然違ってくると思います。
たとえば、このドキュメンタリーの最初のほうで、
ホドロフスキー監督の「ファンドとリス」や「エル・トポ」などの映像が紹介されますが、
ハリウッド映画のテイストとはちょっとかけ離れています。

ホドロフスキーは失意のどん底に突き落とされてしまうのです。

そんなホドロフスキー監督のエピソードとして面白かったのが、
彼が失意の底にいた1984年に
デヴィッド・リンチ監督の「DUNE/砂の惑星」が発表されたときの話。

「イレイザーヘッド」、「マルホランドドライブ」、「ワイルドアットハート」など
数々の作品で有名なデヴィッド・リンチ監督が「DUNE/砂の惑星」を撮影し、
ホドロフスキーは先を越されたことにショックを受けて、
あのリンチ監督がつくったんだから
よっぽどすごい作品だろうと思いながら映画館に足を運んだそうです。

ところが、リンチ監督の作品が予想に反して出来が良くないために、
観ているうちに笑顔になってしまったそうです。
なかなか人間的な人ですね(笑)
そして、リンチ監督のせいじゃなく
製作者が余計な口出しをしたせいだとフォローしています。

このドキュメンタリーの中で、ほんの一瞬だけリンチ作品の映像が流れますが、
その部分だけ見ると、確かにかなり残念な仕上がりになっている感じがしました。
リンチ監督自身もあんまりDUNEという作品の話には触れたくないようで、
まさに「黒歴史」になってしまったように思われます。

ホドロフスキーのDUNEの製作が挫折したことで、
特撮担当だったオバノンは長年温めていた映画の構想に着手し、
1978年にあの「エイリアン」が誕生することになります。
オバノンが原案と脚本を担当し、
そしてエイリアンの造形をギーガーが担当したことで、
SFホラー映画の傑作が誕生したわけです。

また、その前年の1977年にはスターウォーズが発表されましたが、
その中にも小説やホドロフスキーから影響を受けた部分がいろいろあります。
実際、スターウォーズのシーンの中には、
DUNEの絵コンテそのままじゃないかと思われるようなものもあったりします。

ホドロフスキーが作ったDUNEの冊子は、
映画関係者にとってアイデアと映像の宝庫だったのではないかと思います。

ホドロフスキーのDUNEは映画化されませんでしたが、
その発想や想像力が生み出した子供たちは、
確実に新しい映像美を生み出してきたようです。

そして現在、
「ブレードランナー2049」を撮ったドゥニ・ビルヌーブ監督が
2020年12月18日に「デューン 砂の惑星」の全米公開が予定されているそうです。
新型コロナの影響で、どうなるかわからない部分も大きいですが、
完成したら、これはぜひ見に行かなくちゃと思っています。

ちなみに、リンチ監督の「DUNE/砂の惑星」は
一部のサブスクで見られるので、
このあと見てみたいと思っています。

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