【アメリカン・サイコ】表の顔はウォール街のエリート、裏の顔はシリアルキラーだった
同名の小説を映画化した作品で、1980年代後半にヤッピーと呼ばれていたニューヨークのビジネスマンを描いた映画です。ヤッピーというのは”Young Urban Professional”の略で、20~30代の若くて学歴があって、金融系などの専門性の高い仕事についていた人たちの呼び名。その生活ぶりを背景に、一人のシリアルキラーを描いたサスペンスです。
【原題】American Psycho【製作年】2000年【製作国】アメリカ【上映時間】102分
【監督】メアリー・ハロン【脚本】メアリー・ハロン、グィネヴィア・ターナー【撮影】アンジェイ・セクラ【音楽】ジョン・ケイル
【キャスト】クリスチャン・ベール、ウィレム・デフォー、ジャレッド・レト、サマンサ・マシス、クロエ・セヴィニー
主人公のパトリックはウォール街の投資会社で部長職の座についている27歳。会社の同僚たちと高級レストランやクラブに出入りするのが日課。ところが、その仕事ぶりはほとんど中身がなくて、秘書のジーンに対する仕事の指示も、誰それと会食するのでレストランに予約してくれということばかり。
家では美容に気を配って筋トレにも励んで、外見に異常なまでにこだわっています。
私生活では、パトリックにはエブリンという婚約者がいて結婚を迫られているが、彼女の友人であるコートニーとも秘密の関係を持ったりしています。
このパトリックには実は裏の顔がありました。通りすがりの女や夜の街角に立つ女たちを家に招いては、殺人を繰り返すシリアルキラーだったのです。
そんなある日、パトリックは、名刺のデザインを新調して仲間に見せびらかすのですが、他の仲間たちも同じく新しくしていて、中でもライバルであるポール・アレンのセンスの良さに負けてパトリックは大きなショックを受けてしまいます。そもそも名刺が自分でデザインできるというのがびっくりですが、そんなことで、がっくりと肩を落とすパトリックの姿にも笑ってしまうんですが、お前ら本当に他にやることないのかよ。
それでその日の夜、パトリックは憂さ晴らしに、街の路地裏でホームレスを殺してしまいます。さらに、彼の行動は日増しにエスカレートしていくのでしたが…。
自分が知らない世界を見せてくれるというのも映画の醍醐味の一つで、この映画だったらニューヨークの高級レストランってどんな感じなのかなとか、そこの料理ってこんな感じなのかと見て楽しめます。そしてやっぱり、主人公のパトリックはどんな仕事をしているのか、一応は主人公だからちょっとは興味があるじゃないですか。ところが、これがさっぱりわからないんですね。何か仕事をしているんだろうけれど、作品中では普通に仕事をするシーンは一切出てこないんです。
その代りに社員同士がお互いにスーツを褒め合ったり、名刺のデザインやセンスの良さを競って、マウンティングし合ったりしているわけです。仕事そっちのけでお互いにライバル心見せ合っているだけで大丈夫かよ、本当にやることないのかよと思ってしまいます。こうしたシーンでは、彼らの仕事が実業じゃなくて、他人の金を右から左に動かすだけで儲けているという、ウォール街の金融ビジネスに対する皮肉が込められているんだと思います。
そしてパトリックをはじめ登場人物たちは異常なほど外見に気を使う。それはある意味仕方がないというか当たり前なのかもしれません。エステに行ったりもするし、家で筋トレをしたり、とにかく外側を磨くわけですね。
そしてパトリックが誰かの誘いや頼み事を断る時の口癖が、「ビデオを返却しに行かないと」で、これはもう笑ってしまいます。今みたいにサブスクで映画が観られる時代と違って、この映画が作られた時代みたいにレンタルビデオが盛んだったときは、ついビデオを借りたまま返さずにいて延滞金が発生するのは、レンタルビデオの「あるある」だったわけです。それを払いたくない人はせっせとビデオを返しに行っていたけれど、パトリックのような高給取りが延滞金を口実に誘いを断るのは、彼の人間的なセコさを描いているわけですね。
それで、どんなビデオを観ているのかと思えば、AVとホラーばっかりで、これもまたあんまり中身がない。一応、レストランで知人と会話する時には、時事問題などについてもっともらしい持論が口をついて出てきたり、他人を自宅に招いたときなどは、ポップミュージックについて一家言あったりするんだけれど、だからといってそれはただの口先だけで、本人の中身とはなんの関係もない。
パトリックの家は部屋が真っ白に統一されているんだけれど、それは実はこの男には中身がないのだという象徴なのかもしれません。本人も自分には欲と嫌悪感しか感情がないと自覚し、自分自身でもやばい状況にあると自覚しています。これは本人にとってはある意味、地獄なんじゃないでしょうか。白い地獄
そして、これはパトリックの物語なんだけれど、他の登場人物も実は同じようなものでこんなもんだよね、というのが原作者の主張のようです。
余談ですが、映画の中で、名刺デザインを自慢し合う場面の字幕で、彼らの肩書である「VICE President」を「副大統領」と表記していましたが、それはもちろん誤訳です。Presidentは「社長」の意味なので、それでは「Vice President」は副社長かというと、そのあたりも日本とはちょっと違うみたいです。そもそも一つの会社に副社長が何人もいるわけがなくて、しかもパトリックは27歳の設定で、副社長には若すぎます。
このVice Presidentは日本で言えば部長レベルの格付けになるようです。それでも27歳で部長は早いと思いますが、実力主義なので出世が早いのかと思ったら、パトリックの父親が会社のオーナーなので役職についているという設定。人間的な中身がないだけじゃなく、本当は仕事面でも実力がなかったわけです。
ここから先はネタバレになりますが、映画の最後の方では、実はパトリックが起こした連続殺人事件というのは、妄想の世界の話だったのではないかという展開になります。すべては会社のオフィスでノートに描いた想像の世界であり、現実の中では顧問弁護士からも「(パトリック)ベイトマンはつまらないヤツだ」と言われてしまうような普通の人間であり、殺人さえ空想の世界だけの話でしたというオチ。
その証拠に警官と銃撃戦をしてパトカーが爆発するほどの事件を起こしたのに、翌朝オフィスに電話をしても秘書のジーンは普通に対応しています。
逆に言えば、誰もがそういう妄想を抱いて生きているような時代であり、だからこそ「(他の人間との)もはや境界線は存在しない」というパトリックのセリフが活きてくるわけで、怖いんだという話になっているのだと思います。