【ボーン・スプレマシー】孤独な戦いに復讐という動機が加わって、バトルがさらに白熱!

CIAに一人で立ち向かって主導権を握る。

大ヒットした「ボーン・アイデンティティ」の続編。
第一作目では理由もわからず敵に追われて防戦一方だったボーンが、
この作品では逆に相手を追い詰めていきます。

立場は逆転しそうだけれど、
変わらないのはやはり手に汗握る展開です。

その「ボーン・スプレマシー」の感想・レビューです。

【原題】The Bourne Supremacy【公開年】2004年【製作国】アメリカ【上映時間】108分
【監督】ポール・グリーングラス【脚本】トニー・ギルロイ、ブライアン・ヘルゲランド【撮影】オリヴァー・ウッド【音楽】ジョン・パウエル
【キャスト】マット・デイモン、フランカ・ポテンテ、ジョアン・アレン、ブライアン・コックス、カール・アーバン、ジュリア・スタイルズ

前作でCIAに追われていたジェイソン・ボーンは、インドのゴアでマリーと二人の静かな生活を送りながら、自分が誰なのか、それまで何をしていたのか、失われた記憶を思い出そうとしていた。

ところがそこに、前作で登場した「トレッドストーン計画」に関連して、ボーンを亡き者にしようとするグループから刺客が送り込まれる。そして、ボーンを狙った銃弾によってマリーが命を落としてしまう。

未だに組織に追われ、そしてマリーまでも失ってしまったボーンは、わずかな記憶を頼りにし、さらに自らCIAの網にかかるような陽動作戦を仕掛けながら、自らの記憶を取り戻して謎を解こうと動き出す。

一方、CIAではある作戦を指揮していたパメラが、その作戦を妨害してCIAメンバーと情報提供者を殺害したのがボーンだと考えて、ボーンの情報を入手。そして、その先にあるトレッドストーン計画の真相に迫っていく。

トレッドストーン計画に携わっていたアボットは、そのパメラの動きを牽制しながら、自らの関わりが明るみに出ないように、ボーン殺害を強硬に主張していくのですが…。

ボーンは2年間、自分の記憶の断片を思い出そうとしていたが、どうしてもそれがつながらない。そして、肝心の自分が誰なのかもわからない。彼が記憶を書き留めたり、関連するらしい情報をスクラップしているノートには、太く荒々しく、「俺は誰だ?」と刻みつけるような文字で書きつけられています。それを追い求めようとして、再びストーリーが動き始めます。

いきなり物語の最初の方で、ボーンにとって最愛の女性であるマリーが、暗殺者によってあっけなく殺されてしまいます。前作の「アイデンティティ」のラストシーンから、そんなに幸せな生活を送っているような場面も見ていないのに、急に物語から消されてしまって見る側もあっけにとられてしまいます。

狙撃されて車ごと水中に落ちて、そこからマリーを救出しようとするが、死んでいるのを確かめて人工呼吸が最後のキスとなり、あきらめるシーンがとても切なくやるせない。その後、マリーの遺物や写真を焼くのですが、二人で写った写真だけはどうしても燃やせず、マリーに話した「君と一緒にいた良い記憶は残る」という言葉がとても重みを持ってきます。

そして、突然の事件が起こってその悲しみを噛みしめる暇もなく、ボーンが敵への報復に動き出すという展開が、とても目まぐるしい。この息をもつかせぬスピードがまさしく、このボーン・シリーズなのだと思います。とにかく場面の転換や物語の進行がスピーディなので、ついていくのが大変。一つひとつの場面で長々と泣いたり悲しんだりしていては、展開に追いついていけません。

そんでもって、アクションシーンも前作同様に大迫力です。バトルのシーンはやっぱり手に汗を握るし、カーチェイスのシーンも、インドだったりロシアだったりいろんな場所で走り回っていて、実際に撮影していた場所は違うのかも知れないけれど、世界のあちこちで騒ぎを起こしていて、お前らもういい加減にしろよという素晴らしい出来です。

スプレマシー(Supremacy)は「支配権」とか「優位性」とかいう意味なんだそうです。前作では記憶を失ったジェイソン・ボーンが、わけも分からず一方的に追われる身になるという物語でした。それに対して今回は、自分が過去に所属したらしいCIAに追われていることを知ったボーンが、逆に相手に対して「主導権を握る」というような意味合いなのかなと思います。

それを象徴するような場面が、CIAのメンバーたちがビルの上層階で活動しているところにボーンが電話をかけるシーンでしょう。彼らの動きが丸見えになっていることを伝えると、彼らがハッとして窓の外を見る。ボーンにしてみれば、すべてお見通しだよと。

とはいえ、CIA 対 一個人なので、圧倒的に組織の方が強いのは当然。やっぱり追いかけられたり、ロシアの石油王からも刺客を送られて絶体絶命のピンチに陥ったりしてしまいます。でも、その場で機転を働かせながら、大組織に立ち向かっていきながら、隠蔽されていた秘密を暴いていくところに、ワクワクさせられてしまうんですよね。

映画の終盤では、以前ボーンが訓練後に初めて暗殺してしまった夫婦の、残された娘の家を訪ねるシーンがあります。そして、娘に事件の真相を話すことで、親への不信感を晴らして彼女の悲しみを和らげようとします。

ボーンを人間兵器に変えても、組織はその「心」までは支配できない。また本人も変わることがない。人間にとって一番大事なことは何だ?というそんな問いかけがあるからこそ、見ている人はボーンを信用できるし、この映画への大きな支持につながっているんだと思います。

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