【透明人間(2020年版)】姿が見えなくなったら何をするか、最先端科学者の答えとは?
H・G・ウェルズの小説「透明人間」が原作で、しかも1933年の映画「透明人間」をリブートした作品が、この2020年の「透明人間」です。でも、テーマが透明人間だというだけで、内容的にはまったく別の映画だと思って見たほうが良さそうです。
原作となった小説とも、あんまり関係がない内容になっているみたいです(すみません、小説読んでませんけどその内容は1933年版に近いようです)。でも、同じ透明人間というテーマを扱って、昔と今でこんなに違いが出てくるのかという点で、とても面白いケースだと、両方を観て思いました。
どちらの透明人間も面白かったです。
【公開年】2020年【製作国】アメリカ、オーストラリア【上映時間】124分
【監督】リー・ワネル【脚本】リー・ワネル【撮影】ステファン・ダスキオ【音楽】ベンジャミン・ウォルフィッシュ
【キャスト】エリザベス・モス、オルディス・ホッジ、オリヴァー・ジャクソン=コーエン、ストーム・リード、ハリエット・ダイアー、マイケル・ドーマン
主人公のセシリアは、夫であり高名な科学者で大金持ち・エイドリアンからの異常な束縛やモラハラに耐えられなくなって、ある夜、海辺に建つ豪邸から逃げ出して、知人であるジェームズ父娘の家に身を寄せます。
セシリアが頼った先をエイドリアンは知らないはずでしたが、なぜかそこに、夫のエイドリアンが死亡し、巨額の遺産相続が発生したという知らせが届きます。そしてその時から、セシリアの身の回りで不可解な出来事が起こり始めます。
実は夫のエイドリアンは著名な科学者で、その技術を駆使して透明人間になるためのボディスーツを開発していたのです。セシリアはエイドリアンが死んだというのは嘘で、彼が透明人間スーツを使って、逃亡した自分に対するストーカー行為を働き始めたと疑います。
そして、知人の娘にまで暴行が及び始めたことで、セシリアは自宅(エイドリアンの家)に戻って、夫が透明人間スーツを作っていたという証拠を握り、実の妹にも相談をしますが、そこで思いも寄らない惨劇が起こってしまうのです。
目次
2020年に透明人間を描く難しさ
リブートって映画でよく使われる言葉みたいですけど、わかったようでよくわからない言葉ですよね。この「透明人間」の場合、1933年版の作品との共通点は透明人間がテーマというところだけで、あとは、ほとんど共通点はありません。まずは透明人間になる方法が全く違っていて、1933年版では薬を飲んで透明になるのに対して、2020年版だと、透明になるボディスーツを研究開発して、それを着ることで姿かたちが見えなくなるわけですね。
心霊現象だって目に見えないケースが多いので、「透明人間」をテーマにした作品は、「この作品は透明人間を扱っています」ということをわかってもらう必要がありますよね。心霊現象とは違うということをどこかでわからせる必要があるわけです。それで、透明人間がテーマの映画でやっぱり注目してしまうのは、どうやって透明人間の存在や活動ぶりを映像として表現するかということじゃないでしょうか。
やっぱり透明人間をどう描くかが見どころです。
たとえば、最初は家の床にコーヒーの粉をバラ撒いて、相手の足跡の動きを見るみたいなベタな手法だったりするんだけど、まあ、でも普通に透明人間の動きをつかむための方法としては、僕もきっとそんな感じの行動をとると思います。でも映画作品としては、いやいや、それだけじゃあまりにも普通すぎるでしょ、と思ってしまいます。
透明人間とセシリア、そしてその後の警備員や警察関係者との格闘シーンで、透明人間を相手に戦うとどういう動きになるかというのを詰めて、映像化しています。とくに、病院での格闘シーンがあるんですが、どうすれば透明人間との格闘を面白く見せられるかという点で、きっと演出面でも撮影面でも力を入れたシーンなんだろうと思います。やっぱり目に見えない犯人によって、警備員だか警官だかがバタバタと倒されていくという場面はとても面白くて、なかなかすごいです。恐怖感を演出するために、いろんな工夫もしています。
ただ、出来上がったシーンは十分に面白いんだけれど、でも透明人間に襲われる役の人が演技を頑張っていて、それを特撮担当やCG担当が頑張っているんだよねというふうに思ってしまうのは、免れません。こういう作品を見ると、ついメイキングでの演技指導とか、演出や撮影シーンを何となくイメージしてしまう癖がついちゃっています。
時代が変われば透明人間がやりたいことも変わる?
監督としても、そこで終わるわけにはいかないじゃないですか。今までの透明人間をテーマにした作品とは一線を画した作品にしなきゃという、大きなプレッシャーがあったんじゃないか。
しかし、映像技術の点では最善を尽しても、そのインパクトだけで最後まで観客を引っ張るのは限界があるので、ストーリー展開で1933年版とは一線を画するという方向性になったのではないかと思います。
どうすればもっと面白くなるのかといえば、やっぱりストーリー面で頑張るしかない。そもそも透明人間ってモンスターとか心霊現象ではなくて、人間が姿を消しているだけなので、その見えない人間が何をしようとしているのかが問題になってきます。
ところで、もし透明人間になったら何をしますか? 僕はドラえもんののび太と行動を一緒にしそうです。
1933年版は透明人間になる薬を発明した科学者が、世界征服を目指して悪事を働くという内容なんですけれど、でも、21世紀のいま、姿が目に見えないという一点だけで世界征服をするのは、さすがに難しいんじゃないでしょうか。世界征服という考え自体が古臭い気がします。今回の映画の製作者たちも、同じ結論に至ったのではないかと思います。そのためか、この2020年版では世界征服の「世」の字も出てきません。
じゃあ、何をするかというと、目に見えないメリットを利用したストーカー行為によって、主人公である妻を脅かし始めるわけです。それで、夫のエイドリアンはセシリアをジェームズの家まで追ってきて、透明スーツで姿を隠しながらセシリアの就職を邪魔したり、父娘や妹との関係を分断するように画策していくのです。
それにしても、せっかく透明人間になる技術を発明したのに、その技術を活かす目的が自分の妻に対するストーカー行為かよ、というのはちょっとどうなんだと思ってしまいます。映画への不満というのではなく、今はそういう時代なのかなという点でですね。
最後の最後までやっぱり真相はナゾ
ところで、ここまで透明人間になってセシリアに不法行為を働いたのはエイドリアンだという前提で書いてきました。しかし、実はエイドリアンが透明人間としてセシリアに危害を加えているという、明確な証拠やシーンは最後までないんです。状況証拠から犯人はエイドリアンしかいないよね、という流れにはなっているが、絶対的な証拠がない。エイドリアンが透明人間スーツを着て何かをしているシーンって出てこない。
ていうか、そもそもエイドリアンという人物自体が、終盤になるまではほとんど映像として登場してきません。というところで犯人はいったい誰なのかという点で、映画の終盤でそのあたりの展開がどんどん変わってきます。最後の場面は予想外の展開になって、フィニッシュの部分で大ドンデン返しというか、思いも寄らない結末に、ボーゼンとしてしまいました。
面白かったです。