グリーンブック|実話をベースに黒人ピアニストと白人運転手の友情を描いた感動作

第91回米アカデミー賞で、作品賞、脚本賞、助演男優賞を受賞した作品です。

グリーン・ブックというのは、黒人がアメリカ国内を旅行する際に利用できるホテルなどをリストアップしたガイドブックのことです。

天才黒人ピアニストのドン・“ドクター”・シャーリーが、1962年に8週間のアメリカ南部を回るコンサートツアーを決行したときに、その運転手として雇われて同行した白人トニー・“リップ”・ヴァレロンガとの間で起きた、実話をもとにした物語です。

【原題】Green Book【公開年】2018年【製作国】アメリカ【上映時間】130分
【監督】ピーター・ファレリー【脚本】ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・ヘインズ・カリー、ピーター・ファレリー【撮影】ショーン・ポーター【音楽】クリス・パワーズ
【キャスト】ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ

1962年のアメリカ。トニーはイタリア系アメリカ人で、ニューヨークの有名クラブ「コパカバーナ」で、トラブル対応係として生業を立てています。ところが、店が改装のために休業になり、仕事にあぶれてしまいます。

妻と子ども二人がいて、近所のホットドッグ店で大食い競争で賞金を稼いだりしながら、なんとかしのいでいた。そこに、黒人ピアニストの運転手をする話が持ち込まれるのです。

黒人を毛嫌いしていたトニーですが、お金のためにやむなく引き受ける。実質的には運転もできる用心棒として雇われた形だったのです。

最初は生活ぶりも考え方もまったく違っていたために、お互いにギクシャクする二人。しかし、道中で遭遇したトラブルを乗り越えるうちに、次第に人種の壁を越えて心を通わせるようになっていきます。

最初は黒人を毛嫌いしていたトニーだったが

家のキッチンの修繕をしに来た黒人の作業員に、妻が出した飲み物のグラスを、トニーがそのままゴミ入れに捨てちゃったりするほど、黒人を毛嫌いしている。

仕事なんで雇われた身として、当然ですが最初はドンはトニーに対して使用人として接します。トニーはどこでもずっとタバコを吸っているチェーンスモーカーなんだけれど、ドンは煙たいからと言って車の中で吸うのを止めさせたりします。

トニーはとにかくしゃべり好きで口数が多く、一人で黙って運転することができない。それでいろいろドンに話しかけるんだけど、話が噛み合わなくてトンチンカンなやりとりになったりするんです。でも、そこから少しずつ相手を理解するようになっていく。

それが最後には、一緒に酒を飲んだりドンをかばったりするまでに、心を開いていくわけです。

大人気ピアニストだけど世間に疎いドン

ビックリさせられるのが、ピアニストのドンがカーネギーホールの上階に住んでいること。しかも、その住まいが王侯貴族の居室のようなインテリアで、ドン引きしてしまうほど豪華。それでドンは一段高い場所にある椅子に腰掛けて、文字通り上から目線で話しかけてくるのです。

そもそもこの映画のテーマが黒人差別で、当時、黒人の地位が高くないのに、これだけのポジションにいるのは、どれだけピアノの腕前と人気が凄かったのかと思う。ドンはクラシック風にアレンジされたジャズなんかを演奏していて、大人気なんですね。

ちなみに、作品中には演奏シーンもいろいろあるんですが、そこはドン役のマハーシャラ・アリは一応演奏は練習して、実際の音は本物のピアニストが吹き替えで入れたみたいです。それでも動きもしっかり練習したみたいで、違和感なく凄い演奏が聞けます。バーで即興演奏するシーンが最高です。

その一方でドンはっこう世間に疎いタイプで、トニーが買ってきたケンタッキー・フライド・チキンを食べるシーンでは、ドンは食べたことがないので食べ方をトニーが教えます。実はフライドチキンはその昔、昔南部の州で黒人に骨のついた食べにくい部位の肉を与えていて、そこから生まれた料理だということなのに、何だよフライドチキン食べたことないのかよという、際どいギャグになっています。

子供時代から音楽ばかりやっていて、音楽のために家族や妻とも別れた、孤独な人間として描かれています。

一緒に旅をして黒人差別の酷さを体験するトニー

グリーン・ブックというのは、黒人がアメリカ国内を旅行する際に利用できるホテルなどをリストアップしたガイドブック。要は黒人がコンサートツアーをやったら、途中でいろんな差別に遭遇するということを象徴しているわけです。

バーで暴行を受けたり、正当な理由もなく車を停めさせられて、それがきっかけで逮捕されたり、とにかくいろんなひどい目に遭うことになります。世間ずれしていないドンが一人だけで南部を回るのは、確かに無理だというのがわかります。

たとえば、ドンはコンサートの主役として呼ばれたのにも関わらず、主催者からトイレは黒人用を使えとか、白人が食事をするレストランに入るなとか、ありえないような対応をされるわけです。普通なら「ハァ!?」ってなるじゃないですか。それには、当のドンだけではなくトニーも憤慨して、ドンの味方をするようになります。それと同時に、日頃自分がどれだけ偏見をもって黒人たちと接していたかを、身をもって知るんです。

「白人の救世主」の映画なのか?

映画には「白人の救世主」っていう言葉があるみたいで、これは映画の中で黒人が困っているのを白人が助けることで、白人がいなければ黒人は自分たちだけでは何も出来ないみたいな印象を与えることです。

この映画もそうなんでしょうか。

黒人差別が激しいアメリカ南部でコンサートツアーをするのに、運転手が自分と同じ黒人ではなく、白人のほうがトラブルに巻き込まれにくいし、何かあっても解決しやすい。ドンがそういう判断をするのは不思議じゃないと思うんですよね。

それで、実際にどうだったのかを想像してみたいと思います。トニーに運転手を依頼する以前にも、ドンはコンサート・ツアーは行っていたと思いますが、それも映画では、今回初めて南部の州のツアーを行ったということは、それ以前には北部を中心に回っていたのでしょう。その時に同じように運転手を雇って車で移動したのだろうし、それが黒人のときも白人のときもあったのかも知れない。しかし、今回のツアーでトニーのような腕っぷしの強い男に高い金を払って依頼したということは、それまでもツアーのたびに不愉快な思いを余儀なくされていたんだと思います。

それに当時は運転手が黒人だと、何かのトラブルがあった際に、その人がどれだけ強くても最終的には集団で袋叩きにされたり、あるいは銃で撃たれたりしたら一巻の終わりで、実際にそうなる可能性も高そうです。だったら、ある程度の金を払っても白人運転手のほうが安心だという結論になったのでしょう。

確かに表面的には「白人の救世主」的な話ですが、考えてみるとこれは、いざというときは白人が救けないと黒人は何も出来ない、というよりも、そもそもこういう社会になっている方がおかしいということだと思います。

スパイク・リー監督がつくったらどんな作品になるのか?

監督を務めたピーター・ファレリーは、キャメロン・ディアスが主演した「メリーに首ったけ」の監督だということなんですが、この作品とはちょっとギャップが大きくて意外な感じがしました。また、脚本家がトニーの実の息子なんだそうです。監督と脚本の両方とも、白人が黒人問題を扱っていて、アカデミー賞の授賞式はステージ上が白人ばっかりだったというのは、やっぱりどうかと思う人が多かったんじゃないか。

スパイク・リー監督が、黒人差別をテーマにした映画だったら、やっぱり監督も黒人じゃないと意味ないじゃん、という思いがあったのかも。ちなみに、スパイク・リーがこの話を映画にしたら、どんなものになっていたか、とっても興味があります。

さらにはドンの遺族たちが、実際にはドンとニックは友人ではなく、最後まで雇い主と使用人の関係だった。また、ドンはこの映画で描かれているような孤独な人間ではなかったと証言しているみたいです。そこは実際にどうだったかは何とも言えないところです。

とはいえこの作品では、最後には人種の壁を超えて友人同士になった二人を見て、多くの人が胸を熱くしたんじゃないかと思います。そして、いろんな問題があったのにも関わらず、見事に第91回アカデミー賞の作品賞を獲得したのは、やっぱり作品として優れているから以外の何物でもないと思います。

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