グラン・トリノ|何歳になっても自分の生き方を模索しつづけるクリント・イーストウッドの傑作

「グラン・トリノ」というのは、アメリカのフォード社が1972年に発売した、スポーティな自動車の名前です。僕は車に関しては知識がほとんどゼロなんですけれど、作品中の登場人物たちのやりとりから「あこがれの名車」的な車らしいのがわかります。

クリント・イーストウッドが扮する主人公ウォルト・コワルスキーを、その車になぞらえて制作したのがこの映画です。アカデミー賞の作品賞を「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」と争った作品です。

主人公のウォルトがあるきっかけから、アジア人のコミュニティと親しくなるんですが、そこから展開する悲劇的な結末を描いています。いかにも古き良き時代のアメリカ風な頑固オヤジが、自分自身の過ちに気づき、最後は仲間となったモン族の人々を命がけで守り抜くという、感動のストーリーです。

【原題】Gran Torino【公開年】2008年【製作国】アメリカ【上映時間】117分
【監督】クリント・イーストウッド【脚本】ニック・シェンク【撮影】トム・スターン【音楽】カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス
【キャスト】クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー

ウォルト・コワルスキーは妻を亡くしたばかりの、自動車工場の元作業員。彼には子どもや孫がいますが、昔気質の頑固な性格ゆえに子どもたちにも敬遠されて、独りでデトロイトの自宅で引退後の生活を送っています。

そこに近所に住むアジア人の少年・タオが、ウォルトの長年の愛車であるグラン・トリノを盗みに入り、ウォルトに取り押さえられてしまう。

タオは近隣の街に増え続けるアジア系のモン族の一人で、この事件をきっかけに、ウォルトとモン族との交流が始まるんですが、やがてそこに悲劇が起こるのです。

主人公は頑固で口の悪いオッサン

ウォルトは年齢が70代くらいの頑固ジイさんで、かなりとっつきにくいタイプです。

友人であるイタリア人が営んでいる床屋に行くと、お互いにワザとケンカ腰で罵り合うように言葉を交わしているんだけれど、それがウォルトたちの時代にコミュニケーションを取るときのスタイルで、本人たちは別に悪意があるわけじゃなく、親しみの表現なんですね。

確かに口は悪いけれど、自分自身の信念をもって正しいことを貫こうとするタイプなんですね。

でも、彼の子どもたちような若い世代からすれば、ちょっと乱暴だし怖くて付き合いづらい。ちょっと筋の通らないことをすればすぐに説教される。だから、結局煙たがられて相手にされなくなってくる。しかも、周囲に移民が増えたおかげで地域とのつながりもなくなってきて、孤立する独居老人という状況にウォルトは置かれているのです。

1970年代に売れたグラン・トリノという車は、アメリカの自動車産業が斜陽になった今からすれば、古き良き時代の名車なのだろうと思います。この車は自動車工場で働いていたウォルトが自分で組み立てたもので、自慢の車として宝物のようにしているわけですね。

でも、作品の舞台となっているデトロイトは、昔は自動車産業で栄えていたけれど、それが斜陽化して町がどんどん廃れていってしまいます。グラン・トリノも家のガレージで置物のようになってしまいます。それが、ちょうどウォルトという男の人生と重なり合っています。もっと言えば、衰退するアメリカという国とも重なり合っているのです。

自分のまいた種は命がけで決着をつける

そんな状況の中で、ウォルトは近隣に住むモン族のパーティに招かれて、最初は文句をたれながら付き合っていたのだけれど、だんだん心を開いて親身になっていきます。

モン族の人たちはタオ少年がグラン・トリノを盗みに入った罪滅ぼしのために、タオにウォルトの家の手伝いをさせるのです。最初のうちはウォルトはタオに対して厳しく接するのだけれど、最後には彼の成長を認めるようになります。

そうこうするうちに、モン族の少年の中にもギャングがいて、衰退した街に移民が大量に移り住めば、その中にはやっぱり、はみ出して悪に染まっていく人間が一定数出てくるわけですね。

ギャングたちはタオを仲間に引き込もうとします。ギャングがタオに手出しをしたことで、ウォルトがちょっとした制裁を加えるんですが、そのことが結末につながる悲劇を生み出してしまうんですね。ウォルトはとても後悔して、最後はモン族の人たちを守るために、命をかけて予想を超える行動に出るのです。そこに感動してしまいます。

自分のスタイルは果たして正しかったのか?

この映画の魅力というのは、「ウォルト」=「クリント・イーストウッド」が今までの自分のやり方って、正しかったんだろうかと自問自答している点にあると思うんです。クリント・イーストウッドもこの作品のときにはすでに70代なんですが、その根底にある考え方や生き方が果たしてどうだったんだろうと、あえて振り返ることができる。そこにこの作品の凄さがあるのかなと思います。

クリント・イーストウッドの映画を観てきた観客は、たとえば「ダーティ・ハリーだったらどう解決するんだろう?」と、これまでの作品の積み重ねの上で、一喜一憂する。監督はそれを踏まえた結末を考えなくてはならない。この作品の中でも、ウォルトが懐から銃を取り出すふりをして相手を威嚇する、ダーティ・ハリーを彷彿とさせるシーンがあります。ところが、そんなやり方を押し通そうとした結果、この作品では悲劇的な結末に至ってしまうということで、ある意味、ダーティ・ハリーのやり方を否定しているわけですね。これまでのやり方は通用しないんだと。

もはや自分たちのスタイルが通用しない時代になっているということは、身をもってわかっている。

じゃあどうするのか? クリント・イーストウッドが監督として描きたかったのは、自分たちのスタイルは古臭いかも知れないけれど、ずっとそのスタイルで生きてきて、今さら変えられない。それを貫きながらも、時代の変化とどう折り合いをつけていくのかということだったのでしょう。その答えが結末に表れています。

好き嫌いは別として、一~二世代前にはそういう価値観や考え方があったんだという作品。でも、時代は大きく変わってしまったのかなと思います。まさに分岐点にある映画で、クリント・イーストウッドの悩みや葛藤が表れている。その点では、自分の迷いや葛藤を表に出すという点で正直な監督なのかなと思います。それが高い評価につながっているんじゃないでしょうか。

作品のエンディングでは、グラン・トリノをタオに譲り渡すことで、自分の志が少年に受け継がれていくという描写があります。その車はこれからどこに向かっていくのでしょうか。

モン族の料理がメッチャうまそう!

ところで、モン族がウォルトをパーティに招くシーンで、彼らが食べている料理がメチャクチャうまそうで、ウォルトもこれはうまいと大満足していました。

それで、日本では東京・新宿区高田馬場の「ヤマニャ」というミャンマー料理店が、日本で唯一のモン族料理が食べられる店だそうです。

https://burmese.tokyo/myanmar-restrants/yamanya-asiakitchen/

https://note.com/joycooo/n/nd07eb75ff0ac

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